大相撲がまた大変な事になっているらしい。
関係者、マスコミ、マスコミの取材を受けた人、
様々な人が様々な事を言っているが、
それを見聞きしていても、私自身は、
熱くなって憤るわけでもないどころか、
「どうすべきだ」という事を議論する以前のように
感じてしまっている。
「じゃあ、何も書かずにほっとけば良い」のだが(^^;)、
まあ世間が大騒ぎしている話題だし、これを題材にして
なぜ議論にならないと(私が)思うのかを書いてみたい。
答えを先に書くと、人によって「八百長」の程度における
セーフ、アウトの「線引きの場所」があいまいであるから、
お互いに言葉に対する共通の定義がないまま、
各自、自分の中の「八百長」の定義をもとに
「ああだ」「こうだ」と言っても議論になるわけがない。
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2011年02月05日
2010年01月06日
根来前コミッショナーが最後に遺した負の遺産(野球協約改定)
1年も前の話題で申し訳ないが、私がこの件を知ったのが
2010年1月5日付けの朝日新聞のコラム「EYE 西村欣也」の
「ファンの視点持ち野球協約見直して」だったのだ。
ザッとググってみると、西村欣也氏は2009年のおそらく2月10日に、
同コラムで、なによりも大事な野球協約第3条が消滅していることを
指摘されていた。
もちろん私だって、野球協約が大きく改定されたのも、
また、それによって、コミッショナーの権限が強化されたと
いう報道も知っていた。
しかし私は、この西村氏のコラムを読まなかったようだ。
(新聞を開かない日もあるので・・・・ダメじゃん>_<)
なんともかんとも、自分に対して腹立たしいのと同時に、
この国のスポーツジャーナリズムにも、
ホントに頼りにならないという意を新たにした。
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2010年1月5日付けの朝日新聞のコラム「EYE 西村欣也」の
「ファンの視点持ち野球協約見直して」だったのだ。
ザッとググってみると、西村欣也氏は2009年のおそらく2月10日に、
同コラムで、なによりも大事な野球協約第3条が消滅していることを
指摘されていた。
もちろん私だって、野球協約が大きく改定されたのも、
また、それによって、コミッショナーの権限が強化されたと
いう報道も知っていた。
しかし私は、この西村氏のコラムを読まなかったようだ。
(新聞を開かない日もあるので・・・・ダメじゃん>_<)
なんともかんとも、自分に対して腹立たしいのと同時に、
この国のスポーツジャーナリズムにも、
ホントに頼りにならないという意を新たにした。
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2009年12月02日
スポーツ界もゆるがす「事業仕分け」について
2009年03月14日
「閉鎖型、開放型」の議論は、ようするに「袈裟が悪い」ということか【追記有り】
WBC連覇でも、日本球界は浮かばれない?(下)
負けてもMLBだけが輝くシステムを読んだ。
なんと申しましょうか、「突っ込みどころ」が満載で、
いちいち突っ込むと論点が散漫な大長編になりそう。
花粉症で脳みそを鼻水に変えながらゴミ箱に捨てている
時期でもあり、ひるんでしまう。(それが作戦か?^^;)
清水、小野が好投し、成瀬が教育リーグで打たれ、
今季もエッセイが絶好調の田口が藤川からタイムリー。
と、ネタがないわけでもない。
しかし、以前の記事で(上)について、
「ビジネスとして成功した「閉鎖型」がなぜいけないのかを
理解出来るようなわかりやすい説明を期待したい」とか、
「WBCが野球界の発展のためのツールになるのか否か」
を問うてしまった手前、(下)についてなにも書かないのも
礼儀しらずだと思うので、(書いても礼儀知らず?^^;)
論点をしぼって触れる事にする。
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負けてもMLBだけが輝くシステムを読んだ。
なんと申しましょうか、「突っ込みどころ」が満載で、
いちいち突っ込むと論点が散漫な大長編になりそう。
花粉症で脳みそを鼻水に変えながらゴミ箱に捨てている
時期でもあり、ひるんでしまう。(それが作戦か?^^;)
清水、小野が好投し、成瀬が教育リーグで打たれ、
今季もエッセイが絶好調の田口が藤川からタイムリー。
と、ネタがないわけでもない。
しかし、以前の記事で(上)について、
「ビジネスとして成功した「閉鎖型」がなぜいけないのかを
理解出来るようなわかりやすい説明を期待したい」とか、
「WBCが野球界の発展のためのツールになるのか否か」
を問うてしまった手前、(下)についてなにも書かないのも
礼儀しらずだと思うので、(書いても礼儀知らず?^^;)
論点をしぼって触れる事にする。
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2009年01月30日
メディア・リテラシーを考える(結論・・・となるか?)
昨日の記事で「メディア・リテラシーとは真偽を見抜くことではない」
と書いた続きです。
私がメディアの受け手側が持つべき能力として考えるのは、
「考える」ことと「感じる」ことの2つではないかと思う。
何を「考える」のかと言えば、
その中で記者などの発信側が「何を伝えたいのか」ということと
「その根拠は何であるか」を読み取り、説得力の大小として判断することだ。
例えばスポーツ新聞の記事に良くある形で、
記事中にインタービューされた監督や選手の言葉が
かぎ括弧で引用されるものがある。
この場合、「かぎ括弧」で書かれたことが根拠となって、
記者が考え読者に伝えたいと思った記事として完成されている。
また、これまでのデータや、すでに知っていた内容も
根拠として用いられることがある。
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と書いた続きです。
私がメディアの受け手側が持つべき能力として考えるのは、
「考える」ことと「感じる」ことの2つではないかと思う。
何を「考える」のかと言えば、
その中で記者などの発信側が「何を伝えたいのか」ということと
「その根拠は何であるか」を読み取り、説得力の大小として判断することだ。
例えばスポーツ新聞の記事に良くある形で、
記事中にインタービューされた監督や選手の言葉が
かぎ括弧で引用されるものがある。
この場合、「かぎ括弧」で書かれたことが根拠となって、
記者が考え読者に伝えたいと思った記事として完成されている。
また、これまでのデータや、すでに知っていた内容も
根拠として用いられることがある。
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2009年01月29日
メディア・リテラシーを考える(本論)
2009年01月28日
メディア・リテラシーを考える(序論)
インターネットが普及し、誰でも発信できるようになったことで
様々な情報が溢れる時代となっている。
そこで重要になるのがメディア・リテラシーだ。
多くの人が編集可能な立場で閲覧できることで
真偽については、それなりのチェック機構が働いていると考えられ、
このようにブログから簡単にリンクをはれることで、
出典を明らかにしやすいからだ。(責任転嫁ともいう^^;)
このように情報の受け手側(この場合私)が情報について評価し
活用することがメディア・リテラシーの一例と言える。
一方日常でメディア・リテラシーの能力としてクローズアップされるのは、
TVや新聞のみならず、ネットのブログや掲示板等から発信されている
あまたの情報の真偽を見抜く力といえるかもしれない。
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様々な情報が溢れる時代となっている。
そこで重要になるのがメディア・リテラシーだ。
メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。このように言葉の定義を引用するのにWikiを活用するのは、
多くの人が編集可能な立場で閲覧できることで
真偽については、それなりのチェック機構が働いていると考えられ、
このようにブログから簡単にリンクをはれることで、
出典を明らかにしやすいからだ。(責任転嫁ともいう^^;)
このように情報の受け手側(この場合私)が情報について評価し
活用することがメディア・リテラシーの一例と言える。
一方日常でメディア・リテラシーの能力としてクローズアップされるのは、
TVや新聞のみならず、ネットのブログや掲示板等から発信されている
あまたの情報の真偽を見抜く力といえるかもしれない。
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2008年12月04日
スポーツ新聞の書き方(ふくらまし)
長野が拒否ですか。
まあ、自分で悩んで、自分でそう決めたのなら仕方がないね。
今日は、昨日ニッカンに出ていた、
「阪神、番長がダメならロッテ清水が欲しい」という記事を題材に
文章読解の練習をしようという、国語のお勉強企画だ。
この文章は、5段落、1011文字(Wordの文字カウント)からなる
結構ボリュームのある記事だが、内容は最初の段落の最初の1文、
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まあ、自分で悩んで、自分でそう決めたのなら仕方がないね。
今日は、昨日ニッカンに出ていた、
「阪神、番長がダメならロッテ清水が欲しい」という記事を題材に
文章読解の練習をしようという、国語のお勉強企画だ。
この文章は、5段落、1011文字(Wordの文字カウント)からなる
結構ボリュームのある記事だが、内容は最初の段落の最初の1文、
阪神がトレードでロッテ清水直行投手(33)の獲得を目指すことが2日、明らかになった。これが全てだ。
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