2008年03月11日

県西→天満屋→オリンピック。中村友梨香、五輪出場決定

名古屋国際女子マラソンを制した中村友梨香選手が、
順当に五輪出場権を獲得した。

これで天満屋からは山口衛里、坂本直子に続いて
3大会連続の五輪出場となった。
それと同時に、普通の公立高校である
県立西宮高校OGとしても
坂本選手に続き、2大会連続出場を果たした。

その県立西宮高校で指導したのが
萩原健吉氏(現・教育委員会)だ。


西宮市は昭和49年から高校入試に
志望10%住居90%の総合選抜制が行われている。

住所によって原則として受験できる公立高校は1校のみ。
学力によって高校を選ぶのではなく、
市内の公立高校を横一線にして切磋琢磨しようということと
高校受験の勉強は「ゆるゆる」でもOKということだ。
(なので大学受験の時に浪人が多かった^^;)

その中で萩原先生は、10%の志望枠を使って
選手を集めた。
9年前、萩原さんは、長距離ランナーとして早くも注目を集めていた西宮市立真砂中時代の坂本選手に手紙を送った。
 「大きな夢に向かって毎日頑張っています。その夢とは全国高校駅伝に出場することです」
 無名の公立高からの勧誘だったが、その熱意に坂本選手の心が動いた。阪神・淡路大震災の翌年、仮設校舎が並ぶグラウンドで、二人三脚の挑戦が始まった。1年の秋、坂本選手は三千メートルで同校初めての9分台ランナーとなった。「涙が出た。五輪出場よりうれしかった」と萩原さん。(2004.08.23神戸新聞)


西宮・大社中時代は無名の存在だった。全国高校駅伝出場を目標に掲げていた萩原さんは「馬力のある走り」に魅力を感じて勧誘した。二年生になったころから急成長し、エースを担った三年の全国高校駅伝で初出場3位の原動力となった。(2008.3.10.神戸新聞) 
都大路へチームをつれていくことは、
監督さんご自身の夢だったのだろう。
でも、指導者として萩原健吉氏が偉いのは、これだ。
大学卒業後に実業団で-と考えていた中村選手に、萩原さんは「実業団に行くなら高校を出てすぐに行きなさい」と諭した。「プロの世界は、五輪を目指す覚悟
がないと中途半端な結果に終わる。回り道しない方がいいと思った」。大学に進んでいれば四年生。恩師の言葉は本当だった。

進学校の教師だったのだから、卒業生を大学へ
送り出すのが普通だろう。

しかし、その子自身のために最良の道を薦め、
背中を押したところが、優れた「指導者」だと思う。

実は中村の1年先輩に、都大路は走れなかったが
都道府県女子駅伝で兵庫県代表で走った寺田 恵(けい)選手がいた。

彼女は関西学院大へ進学卒業後、天満屋へ入社した。

彼女もまだまだこれからの選手なので
長い目で見ればどちらがよいのかはわからないが、
萩原氏には、
彼女の選択が「遠回り」と見えたのかもね。

やはりオリンピックを目指すということは
「二兎を追う」余裕などない厳しい道だということだと思う。


♪松の緑影、色すがし〜♪

ちなみに中村選手の中学の母校、西宮市立大社中学は
私の卒業中学でもある。

なんだか嬉しいものだ(^^;)。

posted by ばかぼん父 at 07:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 駅伝・マラソン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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Excerpt: ... 2008-01-12 2位,萩野志保子.3位,ぐるナイ新メンバー.4位,...
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