田口選手のエッセイのような文章がマメにアップされるのだが、
6月18日の分に、父の日の親子ゲームの様子が書かれていた。
このページは、直近3日分しか読めないので、全文を引用しておく。
父の日。恒例の「親子ゲーム」が試合前に行われ、我が家の2歳半・寛も、ユニフォームを着てバッターボックスに立ちました。普段狭い家の中だけで見るバッティング練習は、打球が家具や壁に当たっておしまい。それだけに、広いフィールドで、晴れた空に高く飛んでいったボールを見た時は、(ホンマはこんなに飛ばせたんや・・・)と、感無量になってしまいました。
本番前にはJロッド(ジョン・ロドリゲス外野手)が球拾いを買って出てくれて、練習する寛の打球を汗だらけになって追ってくれました。Jロッドが球拾いをしてくれている、という感謝の気持ちは、今の寛にはまだきっとありません。相手がどの選手でも、彼にとっては「よく会うおじちゃん」でしかないし、フィールドに入れることを特に不思議とも思っていないでしょう。
生まれた時からプロ野球が生活の中にあって、寛はそれを当たり前と思って暮らしています。かつて野球少年だった僕は、そんな寛の恵まれた環境を、時々心から羨ましく思うのです。
イニングの合間には、親子ゲームのハイライトがスクリーンで流されました。ちょうど僕がネクストバッターズサークルに入った時、寛の打席が一面に写り、思わず準備の手を止めてしまいました。まるで「本物の野球」を追うようなカメラワークが白いボールを追い、「おおーっ!」と反応するファンの声をバックに、寛が一塁まで必死に走って行きます。たったそれだけの、数秒の映像。誇らしさと、ありがたさと、嬉しさが一気にこみ上げて、照れ隠しに必要以上に怖い顔を作ってしまいました。
いつか彼に、僕が今日どんな気持ちでそのシーンを見ていたか話してやりたい。それがどれほど貴重な体験なのかということも、必ずわかってもらいたい。そして、彼が当然のように享受している野球選手の子供としての特権を支えてくれているすべての人に、心から感謝できる人間になってもらいたい。そんなことを考えながら、今日のメールを書いています。
子供が生まれた瞬間から、自動的に「父親」と呼ばれ始めて2年半。でも、もしかしたら今日がこれまでで一番、自分で自分を(俺も父親なんやなあ)と強く意識した日だったかもしれません。
ミズーリ州セントルイスにて 田口壮
私は、こういう父と子の話に弱い(涙腺が刺激される)。
私も息子が生まれた時に、自分でも驚くほど「父親である」ということを
ものすごーく意識したから。
またそれと同時に、メジャーベースボールって、とても楽しそうだって思う。
こんな企画もそうだが、メジャーは移籍も多く、人の入れ替わりも激しいのに、
チームがファミリーのようになっていると感じるなあ。
余談だが、私は田口と同じ高校を卒業している。
六甲山系の山裾の高台にある学校まで、彼は毎日走って通った上り坂を、
私は途中の友人宅まで、自転車を使っていた。(←反則^^;)
このあたりから人間としての差があると感じるところだが、
田口選手の常に向上心を持って成長し続けようという姿勢が大好きだ。











父親も成りたての頃は、過剰なくらい「意識し過ぎ」ていたものですが、近頃は逆に貧相なくらい「意識しなさ過ぎ」ている自分です。それだけに田口選手のこの一文には、忘れかけていた「父と子の絆」を思い起こさせてくれる思いです。
大観衆に見守られながら、自分の職場にわが子を招いてやれる職業。
今度、生まれ変わった時は、何が何でも野球選手になりましょうぞ!
いやみにならないよう書かれていますが、
「うらやましいというのも程がある」というぐらいの
「特権」ですよね。(^^;)
田口は努力に努力を重ねてここまで来ているので、
応援する気持ちになることがあっても、
ズッコいとは決して思いませんが、ほーんと、凄い話です。
でも、これが「メジャー」という世界なんでしょうね。