2009年01月29日

メディア・リテラシーを考える(本論)

俊輔抜きの日本代表、バーレーンに負けたのね。
(1月29日アジアカップ最終予選、ガチャピンも見学だったのね)
全くみてないけれどアジアカップへは2位でOKなので、
イエメンと香港にやられさえ、しなければ良いのだが、
バーレーンと「いい勝負」をしているようでは
W杯にいけたとしてもワクワクできるようなサッカーが
見られるのだろうか?という不安がさらに膨らんだ。


この記事は昨日の記事の続きです。

今日の記事では、
「メディア・リテラシーとは真偽をみぬくことではない」
と、wikiの定義に反する?ことを書こうと思う。


スポーツがらみの素人ブロガーと、記者との決定的な違いは、
監督、コーチ、選手らから直に取材ができるかどうかにある。

我々のような素人は、記者によって加工された2次情報しか
知りえない。
もちろん、スポーツナビに掲載されるような、
記者会見の全容をみられるところは、かなり1次情報に近い
情報が得られるといえるが、それでも語るときの表情や間、
その場の雰囲気などは伝わっては来ない。
現場に居合わせた者と、現場にいないものとの間には、
受け取る情報に
絶対的な差が存在する。

スポーツ新聞には、
ときおり明らかなデマや、
事実と異なると、当事者から指摘されるような記事が
掲載される。
だからといって、例えばサンスポなどの記事は
一切信じてはいけない、となるのはいささか短絡的だ。
常に正しい、常に間違い、というものはどちらも存在しないと
考えてよい。
極端なことをいえば選手だって常にホントのことを語っているとは
限らないわけで(^^;)。

また、同じ事実を見ていても人によって受ける印象が違っても、
伝えたいと考えることが異なっても不思議ではない。

一般紙であっても例えば「竹島問題」などでは、
読売や産経と、朝日では伝え方が全く異なっていた。


「ヤラセ」という悪質なもののみならず、悪意がなくても
加工された2次情報しか得られない、視聴者や読者に
その情報の「真偽を見抜く」ことを求めることがもともと無理なのだ。
もっといえばそこにこだわるのは「無意味」な事だと思う。

では、(私が考える)メディア・リテラシーとは、
受けて側に何を求めるものなのか?について次回に書きます。
(つづく)
posted by ばかぼん父 at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会の勉強 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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