2008年10月15日

「岡田阪神と私」 岡田監督辞任の報に寄せて(中?編)

この記事は「岡田阪神と私」 岡田監督辞任の報に寄せて(前編)の続きです。

岡田野球っていったいなんだろう?

自軍の選手の個人記録を重視することだろうか?
「個人記録の配慮」
、選手個人がモチベーションにするのは結構なことだが、
私にとっては、どうでも良いことだ。
例えば連続試合出場という記録は、監督の胸先三寸できまること。
「連続出場させてやろう」と監督が思えばどんな状態であっても未来永劫続くようなもの。

HRにしても、盗塁にしても、「この試合」という大事な場面で
打ったり、決めてくれたりすると、大きな感動が得られるが、
試合の勝敗や、順位が決まってからのものはどうでも良いじゃん。
(と、少なくとも私は思うということ)

最近は赤星が出塁してもバントで進めるので、
私は「怪我で走れないのだ」と思っていた。
しかし順位が決まった後の最終戦では盗塁を何度も敢行した。
(怪我が治ったのかも知れんが^^;)

負けられないプレッシャーで、赤星が自重したのかも知れない。
悪い方へ流れが変わる事を恐れて、チームとして安全策をとったのかも知れない。

選手が自重していても、チームとして安全策をとっていても
勝てる相手にしか勝てない野球が、岡田野球なのだろうか?

選手の個人記録に配慮する監督が選手目線であることは間違いないのだが、
個人記録重視の姿勢が例えば「岡田野球」と呼ばれるような
一種の「プレースタイル」には繋がらないと思う。
むしろ、プレーの判断も任されていた「サインなし時代」こそ、
「選手主体のスタイル」である「岡田野球」だったのではないか。

また、選手目線つながりでベテランを重視する傾向がある。
今季、ついに今岡をきったと思った。
が、なんの良化のニュースも無かったにもかかわらず、シーズン終盤に再登録した。
そしていきなり活躍すると、プレーが悪くなっても使い続けた。
怪我の新井を予想より早く再登録、そしていきなり活躍すると、
怪我をおして、また使い続けた。

岡田さんは、ドラマチック、感動的な展開が好きなのだと思う。
プロ野球という舞台で「野球の監督」ではなく、
生まれたときからの阪神ファンである自分が見たいと思うシナリオを練り、
演出する「舞台の監督」のようだと思う。
そして、ベンチで観客となってその舞台を観賞しているように思う。

その「舞台」をいっしょになって楽しめる阪神ファンにとっては
一体感を感じられてハッピーなのだろうが、
まず「野球」を見たいと思う人間にとっては、違和感を感じてしまう。

「岡田阪神と私」 岡田監督辞任の報に寄せて(後編)につづく

posted by ばかぼん父 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神タイガース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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